「メンタル脳」は、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏によって書かれた著書です。
原題は「The Real Happy Pill」で、2018年に日本語版が翻訳出版されました。
本書は運動が脳と心の健康に与える科学的な影響を詳細に解説しています。
ハンセン医師は最新の脳科学研究に基づき、運動が抗うつ薬よりも効果的に働く可能性や、認知症予防、ストレス軽減など様々な精神的・身体的効果をもたらすことを紹介しています。
これまで感覚的に語られてきた「運動は心身に良い」という言説を、科学的エビデンスで裏付けた画期的な一冊です。

運動が脳にもたらす驚くべき変化
本書の中核となる主張は、「運動は脳の機能を劇的に改善する」ということです。
ハンセン氏は研究結果から、運動が脳の容積を増加させ、特に記憶を司る海馬に顕著な効果をもたらすことを示しています。
また、運動は新しい神経細胞の生成を促進し、脳細胞間の接続を強化します。
さらに、ドーパミンやセロトニンといった幸福感や安定した気分に関わる神経伝達物質の分泌も促進することが分かっています。
特に注目すべきは、ランニングなどの有酸素運動が海馬の容積を平均2%増加させるという研究結果です。
これは認知症予防において非常に重要な発見と言えます。
うつ病と運動療法の驚異的な効果
ハンセン氏は、運動がうつ病治療において抗うつ薬と同等かそれ以上の効果を持つことを示す研究を紹介しています。
デューク大学の研究では、16週間の運動プログラムが抗うつ薬「ゾロフト」と同等の効果を示したというデータが示されています。
さらに重要なのは再発率です。
運動を継続したグループの再発率はわずか8%でしたが、薬物療法のみのグループでは38%もの再発率を示しました。
これは運動の持続的な効果を示す重要なエビデンスです。
運動がうつ病に効果的な理由として、ハンセン氏はセロトニンやノルアドレナリンなどの分泌促進に加え、BDNF(脳由来神経栄養因子)の分泌増加が重要だと指摘しています。
BDNFは脳の可塑性を高め、新たな神経回路の形成を促進します。
また、運動には抗炎症作用があり、睡眠の質も向上させることで、うつ病の症状改善に複合的に作用するのです。
ストレス社会と脳の疲労対策
現代社会で増加する心の病の原因として、ハンセン氏は慢性的なストレスを挙げています。
長期的なストレスは前頭前皮質(計画や意思決定に関わる脳領域)を萎縮させ、扁桃体(恐怖や不安に関わる領域)を肥大させることが示されています。
運動はこのプロセスに対抗する効果があります。
特に重要なのは、運動によってコルチゾール(ストレスホルモン)のレベルが正常化され、前頭前皮質の機能が回復することです。
また、運動は自律神経系のバランスを改善し、交感神経と副交感神経の適切な切り替えを促進します。
これによってストレスへの耐性が高まり、回復力が向上するのです。
特に興味深いのは、45分の中強度の運動でもストレスに対する脳の反応が24時間変化するという発見です。
これは日常的な運動習慣の重要性を示しています。

子どもの脳発達と運動の関係
子どもの教育においても運動は重要な役割を果たします。
ハンセン氏は、運動する子どもたちの脳発達に注目し、テストスコアが平均13%向上するという研究結果を紹介しています。
また運動によって、子どもたちの集中力と注意力が改善し、計画立案や自己コントロールといった実行機能が強化されることも明らかになっています。
特にADHDの症状軽減にも効果があり、薬物療法を補完する方法として注目されています。
スウェーデンのある学校では、毎日の授業時間を短縮して運動時間を増やしたところ、学力が向上したという例も紹介されています。
この結果は、運動が学習効率を高めることを示唆しています。
認知症予防と脳の老化対策
ハンセン氏は、運動が認知症予防に効果的であることを多くの研究から紹介しています。
- 週3回の運動で認知症発症リスクが60%低下
- アルツハイマー病の主要因子であるアミロイドβの蓄積が減少
- 脳の血流改善による酸素・栄養供給の向上
- 神経炎症の軽減
特に65歳以上の高齢者を対象にした研究では、6ヶ月間の定期的な運動で実行機能が1.1~1.7年若返ったというデータもあります。
最適な運動法と実践アドバイス
本書の実践編として、ハンセン氏は科学的に効果が実証されている運動方法を提案しています。
最も効果的な運動の条件として、頻度は週3〜5回、時間は一回30〜45分が理想的だと述べています。
強度については中程度(会話できる程度)が最適で、種類としては有酸素運動(ウォーキング、ジョギング、水泳など)が特に脳機能改善に効果的だとされています。
これらの条件を満たす運動を継続することで、脳の健康が維持・促進されるのです。具体的なプログラムとして、まずは週に2回、20分程度のウォーキングから始め、徐々に頻度と時間を増やしていくことが推奨されています。
特筆すべきは、運動効果は始めてから約4週間で顕著に表れ始めるという点です。また高強度インターバルトレーニング(HIIT)が時間効率の良い方法として紹介されています。

薬より効果的な「本物の幸せ薬」
ハンセン氏は本書のタイトル通り、運動こそが「本物の幸せ薬」であると結論づけています。
運動は副作用がほとんどなく、費用もかからず、様々な精神的・身体的効果をもたらします。
ストレス社会を生き抜くための最も効果的なツールとして、運動を日常に取り入れることを強く推奨しています。
本書の最大のポイントは、「なんとなく良い」と思われていた運動の効果を、具体的な脳内メカニズムと科学的データで説明している点です。
読後には運動への意欲が自然と湧き上がり、自分の脳と心を最適化するための第一歩を踏み出したくなるでしょう。
- 運動はうつ病治療において抗うつ薬と同等以上の効果を持つ
- 週3回の運動で認知症リスクが60%低下する
- 45分の運動でストレス耐性が24時間向上する
- 子どもの学習能力が運動で平均13%向上する
- 運動効果は約4週間で実感できる
- 最も効果的なのは「中強度の有酸素運動」である